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田舎薬剤師が書いた本「ドラッグストアへようこそ」の抱腹絶倒 [書籍]

最近、知人に教えてもらった、「ドラッグストアへようこそ」という本は、
腹を抱えて、大笑いの部分が多い本だ。この本は、2007年10月19日に
第1刷が、発行の、新しい本。

書いている人も、今年71歳になる、おじいちゃん薬剤師という、
異色の著者だ。もちろん、現役の薬剤師で、長野県は伊那市という
ところで、ドラッグストアの薬剤師をやっているんだ。

しかも、この薬剤師を始めたのが、65歳からというから、
凄い老人パワーだ。若者も、マジ、負けてしまうような、元気爺サンなんだ!

この人が、ドラッグストアで経験した、お客とのやりとりを、
記録したのが、この本というわけだ。記録といっても、
まあ、生々しいメモみたいなもので、学術的な意味は、低い。
ただ、今の田舎の、ドラッグストアの現状を、知るには、いい本だと思うよ。
もちろん、都会のドラッグストアだって、同じようなもんだよ。

表紙にも書いてある、「ミトコンドリアを下さい」という質問は、
面白さにかけては、抜群の質問だね。どう答えたらいいんだ?!
こういう質問をする人は、中学や高校で、理科を
よく勉強していない人に違いない。

セックス関連の商品に関するエピソードは、なかなか、面白い。
「潤滑油」の話は、思わず、笑ってしまった。
精力がつくドリンクというのも、人気があるみたいだけど、
その効果は、どうなんだろう? イカリソウエキスは、効きそうだけどね。
「カミジンヤ」って、ブラジル語で、スキンのこと。
田舎薬剤師は、ブラジル語も知っていなければならないのか?!

生半可なくすりの知識で、勝手に判断している客も、多い。
この「判断力」ということが、大事だと、この本で、理解した。
薬のことを、いくら、沢山、知っていても、それで、判断できるかというと、
知識の量だけでは、そう簡単に、この「判断力」は、つかない。
著者の田舎薬剤師も、この点では、苦労しているようだ。

著者が指摘していて、私もそうだと思うのは、薬の相互作用について、である。
いわゆる、飲み合わせだけど、判断するデータが不足したり、
学問自体が、まだ、発展途上だから。

医家向けの医療用医薬品と、薬局でも買える一般医薬品の、
区別がついていないお客が多いと、この著者は、嘆いている。
ましてや、医療用の処方せん医薬品と、そうでない医薬品の区別は、
もっと、難しい。

この本にも、処方せんがないと購入できない薬を、買いに来るお客が、
相当いるみたいだ。しかも、以前は、処方せんなしで購入できた薬の場合、
お客は、かなり、面食らうそうだ。

この本を読んで、ドラッグストアは、もっと、複雑だ、ということが、
実感として、理解できた。
というのは、医薬品のほかに、医薬部外品や健康食品まで売っているからだ。
この区別が、消費者には、ついていないことが、良く分かった。

私は、アメリカみたいに、医療用医薬品と、それ以外というふうに、
2つだけに、分けて考えている。それ以外のほうは、全然、信じないことに
しているんだ。
例えば、健康食品の効能なんて、私は、全く信じていないし、
その毒性は、メーカーでさえ、把握していないのだから、怖くて仕方が無い。

でも、薬剤師などの専門家でない限り、その辺の知識は持っていないし、
一般の人は、どうやって、そういう知識を得たらいいのだろうか?
一般向けに、本も出ているようだけど、一般向けと言っても、難解だし、
くすりはドンドン変わっているので、少し古い本では、勉強しても、
徒労に終わるだろう。

どんな商品も、その価格が適正かどうか、気になるところだけど、
薬ほど、値段が分からないものはないだろう。小さな包装で、
何千円したり、ものによっては、一万円を超える薬もある。

この本では、薬の値段が高い、という、お客の例が、いくつか、書かれていた。
私が思うに、化粧品の方が、不自然に、高価だと思う。
化粧品には、薬ほど、有効な成分が十分含まれていないのに、高価なのは
おかしい話だ。

この本を読んで、最後に思うのは、この著者のような、まじめで、
勉強を良くする、薬剤師がいる、ドラッグストアは、まだ、いいが、
ドラッグストアの薬剤師が、この著者みたいな人である保証は、無い。
それに、著者にしたって、分からないことが、多いみたいだ。

だから、最新も含めて、あらゆるくすり関連の情報に、対応して、
的確に「判断」できる、「くすり相談所」みたいなものが、あれば、
いいなあ、と、しみじみ、思った。






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「小さな暮らしの「ぜいたく」」物欲に支配された生活からの脱却 [書籍]

「小さな暮らしの「ぜいたく」」という本を、週刊誌で知った。
東海大学が出している、月刊「望星」に、発表された、エッセイを、
集大成した、単行本で、2007年12月13日に、第1刷が、発行された。
収載されているエッセイは、28名が書いた、28編に及ぶ。

私も、以前は、物欲の亡者になっていて、ともかく、いろんな物を
購入したくて、物をたくさん持っていれば、幸せだ、と、思っていた。

ところが、そんなに、多くのものを所有していても、ちっとも、
幸せに感じないことに、疑問を持ってきた。
最近は、ほどほどに、物を持つことにして、むしろ、人生の時間自体を
楽しもうと、思っている。

この本の「小さな暮らし」というのは、そういう、物欲を抑えた、
暮らしのことだろう、と思って、読んでみたくなった。
また、「ぜいたく」というフレーズに、ちょっと、惹かれたこともある。

読み終わって、概略は、私が考えているようなことと、ほぼ一致した。
しかし、実行するとなると、とても、この本の著者たちには、敵わない。
どっちかというと、極端な人々のエッセイと言う感じだ。

私は、湘南の地を捨てて、北海道や、本州の田舎へ、移住しようとは、
思わない。それを実行した著者が、何人か、いるようだが、もちろん、
私は、批判するつもりはない。
むしろ、大自然に囲まれた生活を、うらやましく、思うだけで、
東京生まれで、東京育ちの私には、僻地の生活など、到底、無理だ。

さらに、田舎で、農業をやる人も、多いが、先祖が武士と聞かされている
私なんか、DNA的に、農作業の農の字も、絶対、無理だと思う。
そんな根性はない。

部屋の中を、出来るだけ、空にして、空間を多く取る、というのは、
私は、ずっと、実行しているので、わが意を得たり、の、気分だ。

電化製品を、どこまで、利用するか、も、この本のテーマだ。
著者たちが、50代から60代が多いので、例えば、携帯電話が、
本当に、必要か、という意見が多い。まあ、私も、メール依存症に
なったことがあるので、度を超すと、携帯電話も、問題かも。

50歳から70歳の年代は、IT製品になじみが少ない人が多いので、
ネットを使わなくても、生活できるという意見があるのは、仕方が無い。
私にとっては、ネット無しで、生活することは、困難だ。

TVとか、DVDに、無縁の著者たちが、いるのは、やはり、驚く。
それでも、TVに、時間を、使いすぎていないか、と、問われると、不安になる。
幾人もの人たちが、TVのような世俗的でないことに、時間をたっぷり使う、
ぜいたくを、書いている。そういうぜいたくも、アリか・・・・

いろんなイベントを、スケジューリングして、次々と、
こなしている私には、そんなぜいたくが無いのが、ちょっと、悔しい。
やはり、私は、時間に追われて、生きているのか?

クーラーなんか、要らない、という著者もいる。クーラー無しの生活は、
田舎なら可能だけど、都会では、暑くて、とても、無理だ。

着る物が、過剰なことを、書いている著者が、いた。その通りだね。
私も、まじめに着たら、死ぬまでに、全部着られないぐらいの、
衣類を、持っている。
いつ、こんなに、買ったんだろう? 買わされたのか??

私は、本を好きなので、いつの間にか、本が、いっぱいになる。
で、古本屋へ売ったり、近所のバザーへ出したり、廃棄したり、
最近、ようやく、出来るようになった。

本に限らず、著者の一人が、捨てる行為は、自分と向き合うこと、と、
書いているが、その通りだと思う。

写真を捨てるのは、生きているうちの義務、と、書いたのは、どの著者だったか。
今は、私には、関係ないけど、写真とか、自分の大切にしているものを、
生きているうちに、どうするか、ケリをつける必要があるね。
今回、初めて、意識した。

簡素な生活が、充実した人生を生む、ということは、どうも、真理らしい。
いろんなものを、やたら、購入して、物欲を満たそうとしても、
なぜか、満たされない心が、残るばかりだ。そんなことの繰り返し。

一方、質素な生活は、自然の美しさに、眼が行くということは、実感として、
私にも、理解できる。
どんなに豪奢なものも、湘南から見る、富士山の美しさには、敵わない。
どんな高価な宝石よりも、一輪の野の花が、素晴らしく見えるときがある。

私は、湘南の便利な暮らしを、放棄するつもりはないが、
物欲に任せた、物に溢れる生活は止めて、本当に必要なものだけを、
身の回りにおいて、出来るだけ、簡素な生活をしていきたい。
そして、大自然の美しさを、ちゃんと、鑑賞できる余裕を、持ちたい。






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「スローサイクリング」自転車素人には、ついていけない遊びの新書 [書籍]

スローサイクリングという言葉に惹かれて、そういう書名の新書を、購入した。
自転車散歩と小さな旅のすすめ、という副題が、付いたこの新書は、
2005年7月11日初版第1刷という、少し前の新書だった。

著者は、白鳥和也さん(48歳)という、いい歳した、中年男だ。
著述業が仕事で、自転車を乗り回して、この新書を、書いたのだろう。
普通のサラリーマンには、縁の無い、超暇人的生活の話だった。

「スローサイクリング」とは、どういう概念か?
ともかく、ゆっくりした、というか、のろいサイクリングであることは、
間違いないだろう。1日何百kmも飛ばしたり、高い山を極めたりする
サイクリングとは、当然、違う。

でも、この新書を読んでも、この著者が考えている、「スローサイクリング」の
概念は、よく分からないままだった。著者は、サイクリングのベテランで、
そのベテランが、遊び心で、スローなサイクリングをしてみたら、と、
誘っている。むしろ、概念を決めようというスタンス自体が、
「スローサイクリング」と、相容れないものなのかもしれない。
この本は、著者の、勝手な、総花的、独り言みたいな、雰囲気がある。

この新書では、臨海エリアとかは、一応のオススメになっているが、
工業地帯やヨットハーバーを走ってみても、どうかな、なんて、私は、
思ってしまう。航行する、大きな船舶が、沖に見えれれば、それは、それで、
面白いと思うけどね。

海岸線自体は、風が強い、幹線道路が走っている、景色が単調だ、などと、
著者は、書いていて、オススメではないみたいだ。
うーん、私にしてみれば、スローサイクリングに適した、海辺のエリアを、
著者は、知らないだけかな、なんて、思っている。

著者は、山とか、高原へ行くのが、好きなようだ。
しかし、山や高原へ行くには、それ相応の旅行が、必要だ。
自転車を持って旅行となると、ど素人には、なかなか、なじまない。

それに、それなりの自転車とか、分解して運ぶ技術が、不可欠だ。
もちろん、私は、ママチャリで、サイクリングしようとは、考えていないが、
何十万円もする、サイクリング車を、購入しようとは、思わない。

著者の言っている「スローサイクリング」とは、1つには、旅の途中で、
寄り道して、自転車で、サイクリングして、訪れた土地を、よく知ろうよ、
と、言っている、と思う。

私も、以前、新幹線で、軽井沢へ行ったとき、駅前で、タンデムを借りて、
サイクリングしたことがある。確かに、マイカーで通り過ぎるよりは、
当時の様子を、よく覚えているなあ、と、思う。

でも、レンタルサイクルがない、土地では、自転車には、乗れない。
特殊な自転車を、担いでいける人は、そう、多くはない。私には、無理だ。
だから、著者の「スローサイクリング」は、著者が、趣味の旅行と、自転車に
付随するもの、という部分が、大きいのではないかと、思った。

遠くへ行くために、カーサイクリングなんてことも、書いてあった。
キャンピングカーの素晴らしさも。でも、エコのことを考えると、
自家用車で、二酸化炭素を、たくさん、吐き出して、その先で、
サイクリングなんて、最悪の企画のように、私は、思えてしまう。

東京などの大都市を、スローサイクリングしてみよう、という提案には、
賛成だ。ウォーキングでも、いいけど、自転車のほうが、移動距離は、稼げる。
ただ、坂道が多い街も、結構あると思うので、それなりの自転車が必要だ。
それに、例えば、都心の空気は、今でも、汚れていることに、覚悟が必要だ。

私は、自分が、住んでいる湘南を、スローサイクリングしてみたい。
自動車道とか、国道とか、県道でなく、ひっそりした裏道を。
どっちかというと、海辺に近い、裏道のほうが、いいけど。

著者は、その土地の歴史とかを勉強しながら、史跡とか、を、回ると面白い
と言っている。なんか、普通の観光と、あまり、変わらないセンスだね。

鎌倉を、自転車で、回ることを、考えてみよう。
鶴岡八幡とか、鎌倉宮や、鎌倉の大仏なんかは、自転車でも、大丈夫かな。
でも、こんなところなら、のんびり、歩いたほうが、イイかもね。

銭洗い弁天とか、坂がきついところは、自転車は、無理そうだ。
鎌倉は、坂道が多くて、概して、自転車には、不向きだ。  
江ノ島は、アクセスには、自転車でいいかもしれないが、
島の中は、どうなんだろう? 岩屋のほうへは、無理だと思う。

まあ、ごちゃごちゃ、言っていないで、まず、自分で、回るほうが、いいね。
そして、著者が言っているように、自分のスローサイクリングのマップを、
作れたら、最高かも知れないね。


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島田律子「私はもう逃げない」正直で誠実な自閉症の本 [書籍]

「自閉症の弟から教えられたこと」という副題がついた、この単行本を知ったのは、
映画「音符と昆布」を見てからだ。アスペルガー症候群の主人公・かりん
(池脇千鶴さん)の子供時代の母親役で、映画初主演を果たした、タレントの
島田律子さん(40歳)が、書いた本。

その島田さんの実の弟が、自閉症だったなんて!
この本は、そのことを、赤裸々に告白した本(2001年発行)だったのだ。
私は、心理学を勉強したと、自負していたが、この本を読んで、
自閉症の実態について、何も分かっていなかったことを、突きつけられた。

自閉症の人が、コミュニケーション不全だということは、知っていたが、
コミュニケーションが成り立たない実態を知って、驚きを隠せなかった。
特に、相手にやり込められたり、イジワルされても、全然、言い返したり、
反撃できないのは、無防備で、とても、大変だな、と、思った。

ともかく、自閉症の人は、マイペースで、一人でいることが、好きなようだ。
だから、家族や、他人から、干渉されるのを、極端に、嫌うが、
日常生活をしていれば、それを、100%避けることは、出来ない。

そんな、いろいろなストレスが、自閉症の人に、パニックを起こさせる。
島田さんの弟・力郎さんも、そうだった。そのパニックの実態は、
自分の顔を、自分で殴ったり、壁や床にぶつけたりして、自傷することだ。
この話に、私は、とても、ビックリしてしまった。
そして、島田さんの父親や母親が、自傷をさせないように、力ずくで、
押さえつけるのだった・・・・・・・・なんとも、大変な事態だ。

もっと、凄くて、悲しいエピソードは、力郎のバス停での事件だ。
詳しくは書かないけど、その時の、島田さんの気持ちを、考えると、
私は、衝撃を受け、思わず、涙ぐんでしまったのだった。

一方で、力郎さんは、天才的な記憶力の持ち主であることが、分かってくる。
何年も前の出来事を、正確に思えていたり、何十年も前の月日の曜日を、
即答できたりする。駅すぱあとも、すっかり、記憶しているようだ!!??

そういう力郎さんの、姉だった、島田さんは、幼いころから、たいへん、
苦労をするが、一番、イヤだったのは、自閉症の実姉として、親や、親戚や、
他人から、哀れんで、見られることだったそうだ。
私が、一番きついなと思ったのは、「結婚できない」と、思われることだった。

力郎さんが、幼いころは、自閉症が、一般的に、知られていなくて、研究も
進んでいなかったので、東大で、自分の息子が、自閉症と宣告された時、
島田さんの両親の気持ちは、どんなだったろうか? 察するに余りある。

私が、凄いと思ったのは、自閉症の子供たちの将来を考えて、親たちが、
自閉症専門の施設を、自ら、作ってしまおうと、運動を、始めたことだ。
いまから、30年も前には、行政も遅れていて、そんな施設は、無かったから。

そして、もっとビックリしたのは、そういう施設建設に、反対する、地元の人が多い中、
土地を貸与しようという、奇特な地主さんが、現れたことだ。
世の中に、捨てる神あれば、拾う神あり、という言葉を、地でいったものだ。

しかも、法律が変わって、貸与ではなく、土地を所有しなければいけなくなった時、
その地主さんは、土地を提供したのだった!!!!???
わが子を思う、親の熱意に、負けた、と、言っているそうだけど、なかなか、
出来ることではないね。この日本にも、そういう偉い人が、いるんだね。

さて、姉の島田さんは、思春期を過ぎて、大人になっていく過程で、力郎さんからは、
距離を置いていく人生に、なっていく。私は、仕方ないな、と、しみじみ思った。
そして、JALのスチュワーデスになり、華やかな人生を、楽しんでいく。
どうしても、自分の実弟が、自閉症とは、言えない島田さんだった。
そんな島田さんが、ひょんなキッカケから、TVに出演して、タレントになっていく。

島田さんが、この本を書くような方向に、人生の舵を切ったのは、
親たちが作り上げた施設が、本当によく、地域に、溶け込んでいるという
実態を知った時だった、という。もう、逃げてはいけない、と、痛感したそうだ。

この単行本は、島田さんの気持ちが、正直に、書かれた、とても、
素晴らしい本だと思う。私も、いろいろ、ドキュメンタリーの本を読んできたが、
この本ほど、誠実に、記述された本は、ないのではないか、と、思う。
この本を書いた、島田さんの勇気と、前向きなスタンスに、私は、教えられたことが、
たくさんあった。



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永作博美の初めての単行本「やうやう」女優の本音にビックリ! [書籍]

女優の永作博美さんが書いた、「やうやう」という本が、売れているらしい。
新作映画「人のセックスを笑うな」で、主演し、その人気が、本の売り上げに
貢献しているのだろうか。

37歳の永作さんは、30代後半の日本の女優に、他にいい女優がいない
現状なので、とても、貴重な、素敵な女優だと、私は、思っている。
私は、かってのTVドラマ「Pure Soul」での、永作さんの演技が、
とても、素晴らしかったことを、よく覚えている。

「やうやう」を、取り寄せてみたら、2008年2月11日初版発行と
なっている超新本だった。過去10年間に書き溜めた、文章を編集した、単行本。
読み物というよりも、詩集といった方が、いいかもしれない。

「やうやう」という書名は、徒然草から、とったとのこと。
調べてみると、第19段と、第188段に、「やうやう」が出てくる。
第19段は、『・・・、花もやうやうけしきだつ程こそあれ、・・・・』とあり、
古語辞典によると、「やうやう」は、「漸う」と書き、「だんだん」とか、
「しだいに」とか、「おいおいに」という意味だそうだ。

単行本の帯には、『ナガサクのおもったこと、赤裸々のこころ。
女優・永作博美 はじめての著書 少しずつことばを吐き出して 
前にすすんだり また内にこもったり。10年間の心のかけら』とある。
だから、「やうやう」なのかな。

この本の中身は、ホントに、永作さんのメモの断片というのが、相応しい。
起承転結の文章なんかないし、書かれた断片の、背景説明も、無い。
そして、書かれていることは、とても、繊細だ。悪く言えば、神経質。
女性の本音の断片を、男性の私が読んで、どうなのって、思うけどね。

自己嫌悪になったり、人を傷つけたと、後悔してみたり、芸能人の
永作さんも、普通の人と、変わらない。

でも、この本を読んでいると、永作さんは、普通より、傷つきやすい人だなあ、
と、しみじみ、思った。人を傷つけたと後悔するのは、自分が傷ついているから。
もちろん、TVとかで見て、永作さんの、どこか繊細そうな雰囲気と合っていて、
私的には、全然、問題ない。

勝ち負けとかも、相当、気にしているね。自信喪失の気持ちも、書いてある。
勝ち負けを超気にする、現代日本なので、有名人だから、当然だと思うけど、
私からすれば、ちょっと、気にしすぎと感じるのは、永作さんに悪いだろうか。

「やめたくなったこと。あるよー。」と、永作さんは、正直に、書いている。
きっと、そうだよね。注目される女優業をやっていても、そういうことって、
あるに違いない。私だって、何回も、あるんだし・・・・・

『My Favorite 2
 土が水を吸う あの、 水か滲みてゆく あの、 土に入っていく あの、
 音が好き。』
いいね、この感性。大好きだよ。

『伝わる時。 それは その時の中で 一番シンプルになった時だと思う。
 そして 一瞬だと思う。』
全く、同意だね。その通り!!! 永作さん、いいこと、書いているね。

永作さんは、本屋が好きだ、と、書いている。
本を読むのが、好きなんだね。
うーん、私と、全く、同じだ。
永作さんが、とても、身近に思えてきた。

残念だったのは、永作さんのフォトが、ほとんど、なかったこと。
いやいや、こんな本音を書いている単行本に、それは、ないか。
でも、顔の一部が、写っているフォトが、あったよ。
永作さんの心の、一部を書いた本なので、そうしたのかな。
えーと、それは、考えすぎ?!!

この本は、1回とか、数回読んだだけでは、把握できない単行本だ。
これからも、時々、読んでみよう。



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平安寿子「風に顔をあげて」25歳女の真実を直視する大切さ [書籍]

新聞の書評で、25歳の女性の心理を、上手に描いている、と書いてあったので、
興味が出て、読んでみた。2007年12月15日初版の、新しい単行本だった。
若い人が書いているのかと思って、平安寿子さんの略歴を見て、55歳と知り、
ちょっと、ガッカリした。いくら、通り過ぎてきたとはいっても、
55歳に25歳が表現できるのか???

読んでみて、まず、とても、読みやすい文体だと思った。いわゆる、
高尚な文学作品とは、いえないけど、通俗小説としては、なかなか、いいレベルだ。
でも、内容は、とても、月並みで、意外性が無く、老女が書いた小説という、
印象で、著者の年齢を裏切らなかった。

主人公・織原風実は、25歳の、立派な成人女性だ。
ところが、高卒後、フリーターを続けて、いまでは、ベテランの部類。
もちろん、未婚だけど、ちゃんとした彼氏が、いるわけでもない。

一応、バイトにやりがいを見出すこともあるが、なんか、物足りない。
そして、このまま、フリーターを続けていくことにも、不安がいっぱいだ。
様々な業種や職種のバイトを、繰り返しても、キャリアがつくとは、思えない。

年齢的にも、30歳が見えてきているので、不安が増すばかりだ。
風実には、結婚願望があり、30歳過ぎても、未婚もままじゃ、という
気持ちが強い。

とりあえず、一歳年上の英一が、ボーイフレンドだけど、お互い、
この人しかいない、というスタンスじゃないため、結婚なんて、考えられない。
風実が、なぜ、英一を好きなのか、が、明確じゃない。
どうも、ボクサー志望という一点に、その理由があるみたいだ。

自分に確固たる目標がない風実は、英一が、栄光のボクサーになることで、
自分の欲求不満を解消しているようだ。そういう女って、男から見ると、
ホント、全然、魅力無いよね。だから、セフレがちょうどいい!!??
いやいや、冗談じゃなくて、英一は、そう思っているって。

でも、この著者は、そういう展開や、描写は、かたくなに避けている。
セックスやりたい放題の現代で、このストーリーは、老齢の著者の、限界を感じる。

結婚願望が強い、風実は、妻子持ちで、家庭的に見える、中年リーマンの
小池という男と、飲んだりする。別に、小池と、不倫したいわけじゃない。
ただ、家庭的な、小池の雰囲気に、浸っていただけだ。

風実が、小池を奪って、手っ取り早く、新家庭を築きたい、という話にならない。
小池と飲んで、酔って、風実は、キスまでするけど、それ以上は、進まなかった。
まあ、いまどき、ありえないけど、これも、老齢の著者の限界か・・・・・

小池が、管理職に出世して、リストラすることに、心を痛める話があったが、
どうも、観念的で、いまどき、そんな甘いヤツが、出世するはずがない。
宴会部長で、出世したみたいになっているけど、この作者は、
現代の会社の実態を、本当に、知っているのだろうか??????

この小説を読んでいると、私は、「真実は具体的」という言葉を、思い出した。
風実は、具体的な真実を見ようとしないで、自分の観念や希望だけに拘泥し、
形式ばかり気にして、事実というか、「真実をみようとしない」、25歳の女なんだ。
それを、子供というか、未熟と言うか、は、別にして。

英一は、本当に、風実を好きじゃないと、私は、思う。嫌じゃない、という程度だ。
そんなことが、風実には、分からないんだ。どうして、好きじゃないのか。
夢も希望ない、ただ、男にすがるだけの風実に、魅力があるわけがないじゃないか。
だから、必死に生きる、子持ちのシングル女に、英一を取られてしまうんだよ。

中途半端なリーマンの小池も、「真実をみようとしない」男だ。
会社の厳しい現実から、いろいろ、言い訳を言って、逃げている。
だから、風実は、そんな小池に、シンパシーを、感じていたのだ。

なぜ、風実は、そうなってしまったのか。理由は、たくさん、ある。
まずは、父親が、風実たち家族を捨て、別の女に走ってしまったことを、
ちゃんと、心の中で、処理できていないことだ。風実は、そんな父親を嫌悪しているが、
心のどこかで、男さえしっかりしていたら、女は、幸せになれると、勘違いしている。

風実を育てた、母親は、典型的な「真実を見ようとしない」女だ。
だから、そんな母親に育てられた風実は、自分もそういう女になってしまって
いることに、全然、気づいていないんだ。いやー、不幸だね!!
サバサバして、しっかりとした性格の、職場の大先輩、三益さんに憧れるのは、
自分が、母親と同類の女だからなんだよ。

一方、風実が、頼りないと思ってきた弟・幹は、「真実を見ることが出来る」男に
なっていく。その理由は、彼が、ゲイだから。自分を、ゲイと認識することは、
とりもなおさず、真実と、向き合わざるを得ない。

後半の部分で、父親が、突然やってくるシーンが、あった。
実の父親が、自分や家族を捨て、他の女と家庭を作るなんて、あってはならないことだ。
でも、現実は、そういうことが起きている。それが、事実で、真実だ。

「真実を見ることができる」弟の幹は、いち早く、そういう父親を受け入れる。
「真実を見ようとしない」母親は、頑なになって、酒に、溺れてしまう。
もう、帰ってくるはずの無い、夫を、ずっと、待っているなんて、言って。
哀れだね、このお母さん。真実が見えないと、こういう悲惨さが、待っている。

で、風実は、どうなったかというと、やはり、弟に教えられた、という言い方が、
適当だろう。自分の現実をしっかり握った父親の姿と、真実が見えない悲惨な
母親の姿にも、影響されたとは思うけど。

風実は、ようやく、事実、真実を、見ようと気がつき、努力するのだった。
自分に気が無い、英一とは、別れようと、決心がつく。
惣菜屋の仕事の真実が、見えてきて、資格を取って、この仕事に
賭けようという気持ちにまで、なってくる。

そうなると、風実に、すごい魅力が出てきて、周りの男は、黙っていないと思う。
ただ、風実の前向きな魅力に、すがろうとする、やる気ない男は、相手にしないことだ。
そんなことをすれば、立場が入れ替わっただけだぜ。





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安保徹「まじめ」をやめれば病気にならない 簡単!免疫生活術 [書籍]

免疫学者の安保徹さん(60歳)は、以前から、免疫関連の本を、
たくさん、執筆している。今は、新潟大の教授だそうだが、免疫学者として、
特に、優れた業績があるわけではないことを、は、私は、知っている。
だから、時流に乗った、物書きの類かと思って、読まないできた。

ところが、『「まじめ」をやめれば病気にならない 簡単!免疫生活術』
という新書を本屋で見て、なんか、内容が面白そうだったので、
読んでみることにした。2008年1月7日初版のピカピカの新書だ。

読んでみて、驚いたのは、現代医療を、真っ向から、否定するような、
過激なことが、書いてあることだ。あと、勉強になったのは、免疫系と、
神経系の連携について、書いてあったからだ。

私たちの身体の中には、免疫系と神経系という、非常に精巧なシステムが、
あるが、免疫学者は、免疫系ばかり研究し、神経学者は、神経系ばかり研究して、
免疫系と神経系のコミュニケーションを、研究する人が、極少だった。

ともかく、わずか200ページ余りの新書に、盛りだくさんの内容が
書いてあるので、その、一部を、以下に、紹介する。

安保さんは、自律神経の交感神経が興奮すると、体内の顆粒球が増加し、
その反動で、リンパ球が減り、リンパ球が担っている、免疫力が低下する、と
書いている。顆粒球が、アドレナリン受容体を保持していて、リンパ球が、
アセチルコリン受容体を保持していることが、その1つの証拠だという。

ストレスに晒されれば、交感神経が興奮することは、よく知られているが、
安保さんは、興奮した交感神経が、結局、免疫力を低下させていると言っているのだ。
だから、長期間、仕事ばかりしたり、揉め事で悩んだりしていると、
免疫力の低下がずっと続き、とどのつまり、病気になる、と、言っているのだ。

じゃあ、ストレスが無くて、ボーとしていれば、いいのかというと、
こんどは、副交感神経ばかりが働いて、顆粒球の働きが低下し、白血球も減り、
元気が無くなり、何もする気がしなくなる、という。

要するに、バランスが必要で、ストレスもほどほど、のんびり休養を取るのも
ほどほどに、ということだ。なかなか、難しいね!!

この新書では、あんまり「まじめ」だと、ストレスがたまるので、
「まじめ」ほどほどにして、でも、やっぱり、「まじめ」は忘れないで、
ということに、なるみたいだ。

安保さんは、免疫力を維持し、強化するには、むやみに、薬を飲むな、
と、警告している。たとえば、熱が出たから、すぐ、解熱剤を、というのは、
やめたほうがいいそうだ。生体は、意味があって、発熱している。
免疫系も、働きやすくするために、体温を上げることがあるそうだ。
そういえば、温熱療法なんかは、わざと身体を暖かくして、治療する方法だ。

あと、食欲も無いのに、病気だからといって、矢鱈、食事をするのも、
ダメだという、免疫系のマクロファージは、食事にも関与しているので、
もりもり食べられると、病気を治す力が、減弱するそうだ。
うーん、私も、風邪を引いて、熱が出ると、解熱剤を飲み、
ぱくぱく、無理して、食事しているなあ・・・・・・やめようかな。

安保さんは、現代のガン治療は、間違っていると、主張している。
ガンになっても、抗ガン剤、放射線照射、手術は、避けるほうがいい!!??
なんて、言っている。もちろん、例外もあるが、ほとんどの場合、
抗ガン剤や放射線や手術は、死期を早める、と、指摘している。
そして、今の病院は、そうなったガン患者は、ホスピスや自宅へ、
放り出す、とまで、言っている。

その理由は、抗ガン剤や、放射線は、白血球を、かなり減らすから、
免疫力が落ちるのだ。白血球が少なくなると、感染しやすくなり、
体力は落ち、元気が無くなるのだ。さらに、手術は、ますます、
体力を落とすことになるというのだ。

うーん、じゃ、どうすればいいのだろうか???
安保さんは、免疫力を高めて、ガンを治そう、と、提唱している。
免疫力を高めるには、「自分で食べる」、「自分で歩く」、「入浴する」
ことが、基本だと言う。要するに、やけを起こさないで、前向きに、
自分の力を信じて、生きていけば、ガンも治る、と、いいたいのだ。

まあ、ちょっと、極論だと思うけど、自立した、明るい生き方が、
病気を寄せ付けない、というのは、本当だろうと、思う。
いつも、文句ばかり言ったり、怒ってばかりの人は、ガンなどの病気になりやすい。

喜怒哀楽を、はっきり、もって、変な我慢はせずに、いつも笑顔の人生が送れれば、
一番いい。そして、からだの声を聞け、と、安保さんは言っている。
からだの声とは、その人の身体を、正常に維持していくためのシグナルのことだ。
そういうシグナルに敏感になれば、その人が何をしなければいけないか、判る。
安易に、サプリメントや薬や医者に、頼るのはやめよう、ということだ。


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「合コンの社会学」冒険しない偽装恋愛儀礼に群がる男女 [書籍]

本屋へ行ったら、合コンの本があったので、買って読んでみた。
書いている人は、社会学者?の31歳の女性で、2007年12月20日初版の新書だ。

私は、出会いに苦労していないし、特に、合コンは必要としていないが、
社会現象になっているような気もするので、「社会学」という題名に惹かれて
読んでみる気になった。

誰でも、偶然の出会いを、求めている。運命の出会いを、求めている。
みんな、恋愛に、空前絶後のドラマを、求めている。私もそうだ。
そんな強烈な動機が、男女を、合コンへ走らせるという。

しかし、合コンは、熟慮し、準備されつくした、出会いの場であって、
全然、偶然の場では、ない。大いに、作られた場であることは、誰でも知っている。
家柄や、学歴や、勤務先や、年収や、職種などなど、十分、考慮したうえで、
合コンメンバーは、決定されるのだ。

だから、普通は、マッチしていない男女が、合コンをやることは、あり得ない。
まあ、例外の合コンもあるみたいだけど。
この新書では、同じような階層の男女が、出会える、昔のお見合いに似た、
現代日本社会の儀礼と、位置づけている。

だから、100%、偶然では、ありえない。かなりなフィルトレーションを
経たうえでの、偶然性って、本当に、成り立つのか???

合コンの場の設定に、そのような作為性があっても、偶然の出会いは
あるはずだ、という意見も、当然あるだろう。

ところが、この新書では、合コンに出席する男女が、自分の本性を出しえない
システムになっていると、指摘しているのだった。
それは、合コンを楽しく過ごそうとする、いわば、いい意味での努力なんだけど、
結局、本質は、出席者各人の本音を隠して、自分の性格を偽っているというだ。

すなわち、嫌なこともイヤと言わず、嫌な相手とも、笑顔で話をして、
自分の嫌な面は出さず、ひたすら、仮面をかぶり続ける。

それが故に、出席者は、相手の本心や、本音が見えず、仮に、出ていても、
本心なのか、お世辞なのか、全く、見分けが付かない。
かくして、ものすごいストレスを、合コンで味わって、疲れ切って、
家路に着くのだ!!!???

それでも、運命の出会いがあればいい、と、強弁する人が、いるかもしれない。
合コンで、理想の相手に出会い、結婚して、幸せに暮らしている人が、
何人いるのか。もちろん、ゼロではないだろう。
ただ、この新書に書かれているのは、合コンで知り合って、デートしても、
結局、相手の本性が見えて、幻滅して、それ以上、付き合わなくなる実例が、
かなり、多いそうだ。

だから、日本社会的にみると、合コンが、結婚促進に役立っているとは、
言えないそうだ。むしろ、いるはずのない青い鳥を追いかけて、いつまでも、
合コンに固執して、婚期を逃がしている人が、多いのではないか、と、書いてあった。

かって、1対1のお見合いが、結婚を、かなり、促進したようだ。
しかし、合コンは、そうではないという。
だから、合コンは、現代版の集団お見合いではない、ということになる。

合コンは、終わってから、同性同士の交流の場になっている、という指摘もあった。
出席者に、変わった人がいれば、合コン後、その人の話題で盛り上がり、
同性同士の結束を、固めることになるという。
私からみれば、なんか、とても、さびしい話だ。
そんな話題でしか、結束することが、できないのか、と。

合コンを、人生の伴侶を見つけようと位置づけるのではなく、
一夜のセックス相手を求めたり、ただ、出席することを、娯楽としている人種も、
絶対、いると思う。私からすれば、前者は、なにも、合コンじゃなくても、
セフレを探す手段は、他に、たくさん、あると思うし・・・・ 理解不能だ。

この新書の著者は、どっちつかずの人生にも、立つ瀬があると、無理して
肯定している。合コンが好きな読者に、媚びているようにも、見える。

私からすれば、合コンなんて、冒険のない道を、選んでいること自体が、
どうしようもない、どっちつかずの、人生選択だ、と、思う。
心に、ビビっときた人がいたら、直球で、本人に告白すれば、いいじゃないか!
人生、1度しか、ないんだし。



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「私の男」強烈なセックス描写と驚異の構成力に感動した [書籍]

「私の男」という、2007年10月30日第1刷発行の、
ものすごい、変わった、新刊の単行本を、読み終えた。
ちょっと、異常な世界なので、一気に読み進むことは、出来なかった。

書いているのは、桜庭一樹さんという作家で、こんな名前なのに、
なんと、女性で、36歳のオバサンだよ!!?
昨年の2007年前半(137回)の、直木賞候補になり、後半(138回)も、
この「私の男」で、直木賞候補になっている、実力者だ。

この小説が、どう変わっているのか、それは、まず、タブーの近親相姦が
テーマだからだ。最初は、少女淫行のにおいさえ、ある!?

もう1つは、構成が、レトロスペクティブで、第1章が、近未来の
2008年6月のことを書いて、話が始まり、終章の第6章は、1993年
7月のことを書いて、話が、終わるからだ。
それは、まるで、推理小説の謎解きを、していくようだった。

主人公は、腐野花という、24歳の派遣社員。目立たない、しっかりした
女の子だ。この娘と、結婚しようというのが、尾崎美郎、28歳。
リーマンだけど、実家は、裕福で、お金の苦労など、したことがない。

これだけ書けば、なんとことはない、普通の若い男女の結婚だ。
つまらない。しかし、花の父親・淳悟が、変わっている。
淳悟は、花の養父で、まだ、40歳。花とは、16歳しか違わない。
しかも、無職! 最近は、花の稼ぎで、生きてきた。

こういう関係を聞けば、普通は、娘が、義理は感じるが、養父を、
嫌って、早くひとり立ちして、幸せな結婚をしようと、思う、と、
私は、考えた。ところが、淳悟と花は、美郎も羨むほど、仲がいいんだ。

いやいや、仲がいいなんてもんじゃない、男と女の関係だったのだ!!!???
養父が、幼い女の子(この場合は、花が9歳の時)を引き取って、
養育し、大きくなったら、男女の関係を持つなんて、なんて、いやらしい!
と、私は、最初、かなり、拒絶反応が出た。どういう小説なんだ、コレは!?

しかし、花は、こういう関係を、少しも嫌がっていないどころか、
もう、美郎と結婚するというのに、養父に、未練タラタラだ!?
花にとって、養父・淳悟は、「私の男」だと言うのだ!!!
なんじゃ、これは。著者は、何が、言いたいのか?

それを我慢して、読み進んでいくと、段々、この小説の全貌が、見えてきた。
淳悟も、不幸な少年時代を送った孤児で、その彼が、遠い親戚ということで、
25歳の若さで、9歳の花を引き取って、真面目に仕事をしながら、
男手一つで、花を育てたのだった。少し、淳悟を見直した。

美郎は、自分が勤める会社で、派遣の仕事をしていた、目立たない花に、
何故か、惹かれ、付き合うようになった。
花は、実力者の父を持つ、おぼっちゃんの美郎に、全然、媚びないで、
むしろ、軽蔑というか、哀れむような目で、美郎を見るのだった。

普通なら、そんな暗い娘に、金持ちおぼっちゃんが、興味を持つはずがない。
だが、美郎は、社会的な地位を持つ、父親の生き方に疑問を持っていて、
そのスタンスが、花の自立した生き方に、魅せられたのではないか、と、思う。

以上だけでも、異色の小説といっていいかもしれないが、実は、
衝撃は、まだ、たくさん、隠されていたのであった。
それを、ここで、書いてしまえば、もう、推理小説の犯人をバラしてしまう
ことに等しいので、書かないことにする。興味ある人は、読んで欲しい。

そういう意味で、この小説は、実に、計算されつくした構成を持っている。
作者の、この構成力の凄さには、まったく、驚かされた。

もう1つ、凄いのは、淳悟と、花が、じゃれあう時の、描写のリアルさ、だ。
そして、しつこいばかりの、セックスの描き方!!! 
その細かい、精緻な描写は、まるで、映画でも見ているような、リアリティがある。
作者が、女性であるからなのかもしれない。男の作家では、リアリティよりも、
いやらしさが、過度になって、いわゆる、エロ小説に、堕ちてしまうだろう。

かって、矢崎仁司監督は、実の兄と妹の近親相姦をテーマに、映画「三月のライオン」
という、すごくいい映画を、撮った。私は、いろいろ、考えさせられた。
この「私の男」という異色の小説を読んだ後、私には、強烈な余韻が残っている。
親子とは何か、恋愛とは何か、結婚とは何か・・・・・・
この小説「私の男」が、直木賞を受賞したら、面白いな。



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伊集院静「ぼくのボールが君に届けば」難解な野球短編小説集 [書籍]

伊集院光さんじゃあなくて、伊集院静さん(58歳)という老作家の
短編小説集「ぼくのボールが君に届けば」の紹介が、新聞に、載っていた。
なんとなく、気になって、2004年発行の単行本の、古本を買ってみた。

伊集院さんは、大学時代に、野球部の四番バッターだそうで、肘を痛めて、
大学野球から、リタイアしたそうだ。なんか、野球に未練を残していそうだ。
と、思っていたら、この単行本に収載された、下記の、9つの短編小説は、
やはり、野球に、未練があるような話が、多かった。

伊集院さんのこの短編小説は、短編にしては、かなり判りにくい話が、
ほとんどだ。人間関係がややこしく、ともかく、理解するのが、大変だ。
それに、伊集院さんの記述自体が、不親切で、理解を妨げている。

第一話 ぼくのボールが君に届けば
この話は、野球をやっていると、みんな幸せになる、という、野球好きの
伊集院さんの我田引水的短編小説だ。特に、子供の野球に価値があると、
言いたいのだろう。配偶者と死別した、男と女を結びつける、野球好きの
男の連れ子。そんなに、うまくいけばいいけどね。

第二話 えくぼ
大リーグの松井秀喜の顔に、えくぼがあったかどうか、憶えていない。
この短編は、松井のえくぼに似たえくぼを持った孫(♂)と、その祖母の話。
この孫と、その父親の息子を事故で亡くした祖母。犬猿の仲だった嫁も、死んでいる。
なんとまあ、このおばあさんを、無理やり、不幸にした話だ。
そこまで、不幸にしておいて、えくぼぐらいで、救われるとも思えないが、どうか。

第三話 どんまい
野球をやっている人って、ドンマイが、口癖だね。気にしない、気にしない!!
男勝りの女の子・カオルがテーマ。もちろん、野球もうまい。
野球好きの純也も、この娘には、かなわない。
ドンマイという野球の合言葉も、教えてもらうのだ。

第四話 風鈴
伊集院さんは、執念深さが好きなようだ。ご本人がそういう性格なのか、
はたまた、そういう経験を、小説にしているのか???
この短編は、あっさりした性格の私には、到底、理解できない執念深さを
描いている。野球のエースだった男を、ずっと、何十年も想っている女。
その男が、脳溢血で半身不随になって、甲斐甲斐しく、世話をする、
もう一人の女。伊集院さんの願望が、強く入っているような気がしたね。

第五話 やわらかなボール
ソフトボールは、硬球と比べれば、確かに、やわらかなボールだ。
出世競争に敗れた老年男が、田舎で、ソフトボールの選手だった、飲み屋の
女とできてしまうという、どこにでもありそうな話だ。中高年に媚びた短編。

第六話 雨が好き
人は、青春時代の初恋や、片思いや、恋愛を、いつまで、記憶しているのか?
と、問われたら、死ぬまで、と、私は、即答するだろう。
この短編は、そんな話だった。しかも、太平洋戦争が絡んでいるので、
87歳の老婆・トキエは、密かな恋心を、一生忘れられなかったのだ。
それにしても、野球のユニホームに、恋人の名前を、書くかなあ??

第七話 ミ・ソ・ラ
人間関係が、かなり、入り組んだ話だ。推理小説じゃないんだから・・・
単純化すれば、中学生にしては体格が良すぎる竜一を、好きな野球の
選手にしてあげたいが、父親は殺人犯で、母親は、自殺している。
そこで、父親の友人の哲也と、親戚の叔母さんである理香子が、
何とかしようとという話だ。えっ、全然、単純じゃないって!?

第八話 キャッチボールをしようか
これは、ホモの話だよ。作家は、ホモが好きだって言うからね。
でも、私は、全然、ダメ。読んでいて、気持ち悪くなった。
キャッチボールが好きなホモなんて、考えるのもイヤだよ。

第九話 麦を噛む
京治の息子・英治は、先天的に、日光に当たれない身体だ。
なんか、YUIさんの主演映画「タイヨウのうた」を思い出す。
野球好きな京治は、英治に、野球の楽しさ、面白さを、教える。
まあ、それがもとで、英治は、死んでしまう。
京治の妻は、夫が、息子を殺したと責めて、別居する。
野球の楽しさのためなら、死んでもいい、とするのは、
伊集院さんの入れ込みなんだろうが、後味は、良くなかった。


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