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「合コンの社会学」冒険しない偽装恋愛儀礼に群がる男女 [書籍]

本屋へ行ったら、合コンの本があったので、買って読んでみた。
書いている人は、社会学者?の31歳の女性で、2007年12月20日初版の新書だ。

私は、出会いに苦労していないし、特に、合コンは必要としていないが、
社会現象になっているような気もするので、「社会学」という題名に惹かれて
読んでみる気になった。

誰でも、偶然の出会いを、求めている。運命の出会いを、求めている。
みんな、恋愛に、空前絶後のドラマを、求めている。私もそうだ。
そんな強烈な動機が、男女を、合コンへ走らせるという。

しかし、合コンは、熟慮し、準備されつくした、出会いの場であって、
全然、偶然の場では、ない。大いに、作られた場であることは、誰でも知っている。
家柄や、学歴や、勤務先や、年収や、職種などなど、十分、考慮したうえで、
合コンメンバーは、決定されるのだ。

だから、普通は、マッチしていない男女が、合コンをやることは、あり得ない。
まあ、例外の合コンもあるみたいだけど。
この新書では、同じような階層の男女が、出会える、昔のお見合いに似た、
現代日本社会の儀礼と、位置づけている。

だから、100%、偶然では、ありえない。かなりなフィルトレーションを
経たうえでの、偶然性って、本当に、成り立つのか???

合コンの場の設定に、そのような作為性があっても、偶然の出会いは
あるはずだ、という意見も、当然あるだろう。

ところが、この新書では、合コンに出席する男女が、自分の本性を出しえない
システムになっていると、指摘しているのだった。
それは、合コンを楽しく過ごそうとする、いわば、いい意味での努力なんだけど、
結局、本質は、出席者各人の本音を隠して、自分の性格を偽っているというだ。

すなわち、嫌なこともイヤと言わず、嫌な相手とも、笑顔で話をして、
自分の嫌な面は出さず、ひたすら、仮面をかぶり続ける。

それが故に、出席者は、相手の本心や、本音が見えず、仮に、出ていても、
本心なのか、お世辞なのか、全く、見分けが付かない。
かくして、ものすごいストレスを、合コンで味わって、疲れ切って、
家路に着くのだ!!!???

それでも、運命の出会いがあればいい、と、強弁する人が、いるかもしれない。
合コンで、理想の相手に出会い、結婚して、幸せに暮らしている人が、
何人いるのか。もちろん、ゼロではないだろう。
ただ、この新書に書かれているのは、合コンで知り合って、デートしても、
結局、相手の本性が見えて、幻滅して、それ以上、付き合わなくなる実例が、
かなり、多いそうだ。

だから、日本社会的にみると、合コンが、結婚促進に役立っているとは、
言えないそうだ。むしろ、いるはずのない青い鳥を追いかけて、いつまでも、
合コンに固執して、婚期を逃がしている人が、多いのではないか、と、書いてあった。

かって、1対1のお見合いが、結婚を、かなり、促進したようだ。
しかし、合コンは、そうではないという。
だから、合コンは、現代版の集団お見合いではない、ということになる。

合コンは、終わってから、同性同士の交流の場になっている、という指摘もあった。
出席者に、変わった人がいれば、合コン後、その人の話題で盛り上がり、
同性同士の結束を、固めることになるという。
私からみれば、なんか、とても、さびしい話だ。
そんな話題でしか、結束することが、できないのか、と。

合コンを、人生の伴侶を見つけようと位置づけるのではなく、
一夜のセックス相手を求めたり、ただ、出席することを、娯楽としている人種も、
絶対、いると思う。私からすれば、前者は、なにも、合コンじゃなくても、
セフレを探す手段は、他に、たくさん、あると思うし・・・・ 理解不能だ。

この新書の著者は、どっちつかずの人生にも、立つ瀬があると、無理して
肯定している。合コンが好きな読者に、媚びているようにも、見える。

私からすれば、合コンなんて、冒険のない道を、選んでいること自体が、
どうしようもない、どっちつかずの、人生選択だ、と、思う。
心に、ビビっときた人がいたら、直球で、本人に告白すれば、いいじゃないか!
人生、1度しか、ないんだし。



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