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映画「敬愛なるベートーベン」美女写譜師の存在は疑問 [映画]

ベートーベンに惹かれて、新作DVDを、レンタルしてみた。
クラシックなら、チャイコフスキーの方が、ホントは、好きなんだけど。
英国とハンガリーの合作映画(2006年)で、日本では、2006年12月に
公開されている。

ベートーベンといえば、やはり、第九、合唱つき、なんだね。
この映画も、第九の初演前後の、ベートーベンを描いている。
私にとっては、ベートーベンのシンフォニーなら、絶対、7番なんだけど。

既に、第九創作や、初演にまつわるエピソードは、いろいろ、知っている。
それは、世界中のクラシック音楽ファンなら、誰でも、そうだろう。
ところが、この映画は、そういう定説に、かなりの変更を加えていた。

一番大きいのは、女性の写譜師を登場させ、この女性が、ベートーベンの
創作活動に、大いに、協力したというのだ。映画だから、虚構はアリだけど、
この設定に、私は、最後まで、違和感があった。

ベートーベンを演じたのは、エド・ハリスという男優で、外見が、
あの有名なベートーベンの肖像画に、そっくりになっていた。
著名な音楽家として、活躍していたベートーベンは、自惚れからか、
尊大で、わがままになり、さらに、難聴になってしまったので、
自在に作曲できず、イライラしてばかりだった。

歴史に残る、名作曲家の私生活が、どんなに乱れていようと、彼の芸術には、
関係ない。それは、分かっていたが、ちょっと、この映画のベートーベンは、
乱れすぎ、のように、感じた。
特に、若い女性に、自分の裸体や、お尻を晒すなんて、ホントかよ、と疑問だった。

その若い女性の写譜師のアンナを、とても美形の女優・ダイアン・クルーガー
が演じていた。ダイアンは、超ボインで、素晴らしい肢体をしていた。
だから、これは、ベートーベンとアンナが、出来てしまう話のか、と、
思ったけど、そういう不謹慎な映画では、なかった。

最初、ベートーベンは、偏見から、女の写譜師なんか、認めようとしなかったが、
徐々に、アンナの、写譜師としての実力を認めて、彼女に頼るようになる。
歴史の真実は、ベートーベンは、誰にも頼ることなく、創作したと、思う。

でも、映画としてみた場合、ベートーベンが、アンナを信頼し、
頼っていくところは、いい展開だと、感じた。特に、男女の関係なんかは、
変に入ってこないで、音楽家と写譜師の関係が、ほぼ保たれていた点だ。

もちろん、アンナが作曲した曲を、ベートーベンが、くそみそに貶したのは、
大音楽家としてのセンスだろうが、見えている人には見えて、見ない人には、
見えない、という、天才の法則を、描写したものと、私は、受け止めている。

それは、アンナの恋人が、精魂込めて作った、コンペのブリッジの模型を、
粉みじんに壊してしまった、ベートーベンの言い分にも、出ていた。
可哀相だけど、才能のない人は、努力で、補うことは、出来ないんだよ。

ベートーベンは、甥・カールを、ピアニストにしようと、
頑張るが、カール本人は、自分には才能がないと、嫌がっていたのも、
同じことだと思う。カールは、ベートーベンのトリックスターと、
私は、理解していたが、この映画の解釈は、違うようだ。

評価が高い、第九初演のシーン、なんか、違和感があって、入れなかった。
ベートーベンが、なんか、まともに、指揮していたから。

難聴だったベートーベンが、この映画のように、まともに、指揮が出来たとは、
伝わっていない。私が知っているのは、オーケストラの進行とは、無関係に、
必死に、めちゃくちゃに、タクトを振る、ベートーベンの姿だ。

それに、オーケストラの中に混じって、写譜師のアンナが、補助のタクトを
振るなんて、まず、あり得ないんじゃないか、と、思った。
確かに、誰かが、指揮者・ベートーベンに代わって、別に、指揮していた
という話になっているが、写譜師が、にわかに、コンダクターになれるほど、
第九は、甘くない。

第九の初演は、この映画のように、拍手喝さいだったと、伝わっている。
それは、果たして、当時の聴衆が、第九の本質を見抜いたからだろうか?
演奏技術が未熟だった当時、第九のいい演奏には、なっていなかったとする説に、
私は、加担したい。

当時は、理解されず、後に、高い評価を受ける、「大フーガ」の初演のシーンは、
大作曲家・ベートーベンとしては、寂しいものだった。
そして、ベートーベンは、亡くなっていく。あっけない、寂しい最期だ。
先が見えている天才は、誰でも、こういう最期を、迎えるのかもしれない。



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