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映画「サウンド・オブ・ミュージック」全ての山へ登れが心に沁みた [映画]

またまた、超古い映画を見てしまった。NHKBS-2でやっていた、
アメリカのミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」だ。
1965年の映画。43年も前!!!!

以前見たことがあるけど、ずいぶん久しぶりに見た。忘れていた所も多かった。
でも、再度見て、名画といわれているだけあって、やはり、いい映画だと思った。
世界中で、戦争に明け暮れ、凋落した、今のアメリカには、創れない映画だね。

今回見て、まず、映像の美しさというか、大自然の美しさというか、
そういうものが、実に、よく撮れている映画だなって、感心すること、しきりだった。
大自然を愛でるということが、人生の第一条件だね!

そして、音楽や歌うことの素晴らしさを、真髄まで、教えてくれるのが、この映画だ。
修道院の厳格さやナチスの軍事支配、金持ちの不自由さなどに対抗して、
音楽の自由さと、その大切さを、謳歌しているこの映画は、とても、素晴らしい。

劇中で歌われる曲が、名曲ばかり!!!!  
歌う役者も、歌が上手だ。トラップ大佐役のイケメン俳優のうまさには、驚く。
まあ、4オクターブのジュリー・アンドリュースは、別格だけどね。

3時間近い、長丁場の映画なんだけど、ちっとも、長く感じさせない。
絶妙な構成の脚本が、そう思わせるのだろう。エンターテイメントの見本みたい。
よく、あれだけ多くの名場面を、創ったと思うよ。

この映画は、ただ、歌ったり、踊ったりしているだけの映画じゃない。
今回見て、よく分かったんだけど、人生の全てのテーマが、盛り込んである。

まずは、恋愛だけど、十代の恋愛は、激しく燃え上がるけど、脆いことを、
示している。この映画は、特に、彼が敵に回るという現実も、示したのだ。

トラップ大佐とマリアの恋愛は、かなり意味深で、学ぶところが多い。
妻とするべき女性は、誰が、最適なのか?
この映画に出てきた、男爵夫人は、美人で、金持ちで、俗物で、無内容で、
最低だけど、そういう女って、けっこう、自分の周囲に、散見するよね。

マリアは、全然、美人じゃないけど、超ブスって訳でもなく、10人並み。
でも、明るくて、聡明で、歌はうまいし、踊りもうまい。
ユーモアもあるし、正直で、素直で、自立しているところが、とてもいい。
カーテンで、子供たちの服を作ってしまうなんて、そのたくましさに、脱帽だ!

権威主義というか、支配というか、そういうものに対するスタンスも、
問題提起しているのが、この映画だ。祖国オーストリアを併合していく、
帝国主義のナチス・ドイツ。ナチスに尻尾を振る、売国奴のオーストリア人もいれば、
トラップ大佐のように、反ナチを貫く、信念の人もいる。

今回、気が付いて、面白かったのは、そのトラップ大佐自身が、
家庭では、自分の子供たちに、支配的で、軍国主義的で、権威主義だった
ということだ。それに、対抗したマリアは、本質的には、ナチスに対抗した、
大佐と、同じ地平に立っていたのだった。そういう二人が、恋に落ちたのは、
当然だったのかも知れない。

久しぶりに見て、初めて、ジーンと来たのが、「全ての山への登れ」という、
修道院長が歌う、歌の意味だった。大佐に恋をして、うろたえているマリアを、
諭すように歌う、この歌は、私の心に、沁み込む様に、伝わってきた。

子供が出演する映画は、それを見る大人たちに深い感動を与えるものだ。
この映画も、まさに、それだけど、この映画は、16歳から5歳まで、
実に、7人もの子供たちを描いているところが、多面的で、いい。
マリアが、子供には、遊びが必要だ、というのは、万国共通の価値観だね。

しかも、その描き方が、実にリアルで、自分の子供時代を、思い出す。
雷が怖くて、マリアの部屋に集まってくる子供たちの真剣な表情!!!
その7人の子供演じた、子供の役者たちの、演技の素晴らしさ!
再度、感心したのが、末娘の、可愛らしく、しかも、しっかりした演技だ。

この映画が、実話をもとに、制作されていることに、再び、驚いた。
事実は、小説よりも奇なり、とは、良く言われることだが、
高級軍人の一家が、世界から、音楽ファミリーと呼ばれることになるなんて、
誰も想像がつかない、素晴らしい話だね。






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阪妻恐るべし セリフだけでなく全身全霊で演技する役者の中の役者 [映画]

CATVで、やっていた、古い白黒映画を、なぜか、2本も見てしまった。
古い映画には、古いなりの良さがあることに、気が付いた。
偶然、2本とも、名前だけは知っている、阪東妻三郎が、主役の映画だった。

昨年亡くなった田村高廣さんや、田村正和さんの父親ということで、
私は、知っていたが、役者としての力量は知らなかった。
でも、この2本の映画を見て、阪妻という俳優は、恐ろしく演技が上手な
俳優だということがわかった。いや、演技というよりも、その存在感が、
抜群の役者だなあって、思う。

1つ目の映画は、「無法松の一生」(1943年)だ。
三船敏郎主演の1958年のリメイク版は、見たかどうか、記憶が定かでない。
ともかく、その映画か、別のTVドラマで、この無法松を見た記憶がある。
そのときの感想は、あまり面白くないもので、それほど、評価できなかった。

その理由は、陸軍大尉の奥方を、無法松が、密かに、恋しているという
面が強調されていて、そんな目論見で、奥方の息子に接近しているのは、
なんか、いやだった。松五郎の無法も、強調されすぎだった。

でも、阪妻の無法松を見たら、そんな不満は、吹き飛んだのだった。
まず、酒や博打や喧嘩好きの松五郎が、実は、優しい心根を持つ男だ、
という点を、阪妻は、その存在全てで、表現しえていると思った。

奥方の息子への優しさが、幸薄かった子供時代をもつ松五郎から、
自然に、滲み出てくるようで、そして、まだ独身の松五郎の寂しさを
象徴するようで、凄いと思った。

始めは、松五郎に懐いていた息子が、成長するにつれて、
松五郎を遠ざけるようになり、松五郎は、とても、寂しく思う。
そんな、どこにでもあるような、親の寂しさを、上手に演じた阪妻は、
見ているものに、その心が全て伝わってくるようだった。

この映画は、一介の車夫の松五郎を、尊敬の念を持って描いているところが
いいと思う。特に、欲得抜きで、未亡人になった奥方とその息子に
尽くすところが、いい。最近の金満日本では、成金ばかりをもてはやす
傾向があるが、昔の日本人の方が、本質を見ていたような気がする。

後で調べたら、この1943年版は、いろんな検閲に合い、ズタズタに
切り貼りされているという。そんな不完全な映画でも、私に、強い感動を
与えるなんて、やはり、凄いと思った。

もう1つは、「狐の呉れた赤ん坊」(1945年)だ。
これも、阪妻は、大川の川越人足・寅八の役で、こういう貧乏人の役をやらせたら、
阪妻は、一品だ。

狐が出ると噂される山の中で、赤ん坊を見つけた寅八は、持ち前の優しさから
捨て置くことが出来ず、拾って、男手一つで、育てるという話だ。
赤ん坊は男の子で、善太と名づけられるが、なんか、この設定は、
無法松に類似するね。あと、チャップリンの映画「キッド」を、思い出したよ。

酒も博打もやめて、必死に、善太を育てる寅八は、とても、微笑ましく、
子供を育てる、親の苦労や喜びを、阪妻は、最高に、いい演技で表現していた。
特に、善太が仕出かした、大名行列への妨害事件で、寅八が、
命を懸けて、善太の救命を願い出るシーンでは、涙ぐんでしまった。
親が子供を殺したり、子供が親の首を切ったりしている現代日本の有様を、
阪妻が見たら、なんて、言うだろうか・・・・・・・・・・・・

善太が、実は、さる大名の忘れ形見だいう展開は、陳腐だったが、
そんなことがどうでもよくなるくらい、寅八の苦悶の演技は、阪妻の独壇場だ。
そして、たとえ、実子でも、いつか、子供は、親を離れて、一本立ちしていく
ものだと、教えているような気がする。
いつまで経っても、子離れしない親や、脛かじりの子供が、氾濫する現代日本を
阪妻が見たら、卒倒するだろう。

以上の2つの映画は、娯楽映画であることは、間違いない。
でも、ただバカ騒ぎするだけの最近の「娯楽映画」は、はっきり、違うと思う。
人間の生き方や人生の価値観に、しっかりした定見を持っている。
そして、それを、自信を持って、映画を見ている私たちに、伝えようとしている。
60年以上前の古い映画だからといって、軽く見ることはできないな、
と、しみじみ、思った。




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映画「微熱 愛と革命の日々」セックスシーンが強烈 [映画]

洋画の新作DVDを探していて、「微熱 愛と革命の日々」というのを、借りた。
レンタルしてから、気づいたけど、2006年のノルウェーの映画だった。
ノルウェーなんて国、よく知らないし、ノルウェー語なんか、想像もつかない。
でも、聴いてみると、ドイツ語みたいだった。

ストーリーは、白髪で、平凡な、高校教師・クヌートが、若いころ、
共産主義運動に、手を染めた話を、生徒たちに、話すという展開だった。

若きクヌートは、平凡で、若い女性に興味ある、普通の青年教師だった。
20代後半には、図書館の受付の女の子と、結婚し、子供が産まれ、
子煩悩な、パパだった。

ところが、AKP党(ノルウェーの共産党?)の学生にオルグされ、
だんだんと、共産主義者の集団に、接近していく。
でも、主人公のクヌートは、外見は優男で、思想的になんかありそうでもなく、
ともかく、主体性のない、付和雷同的な青年に見えた。

そんな頼りない青年を、ノルウェーの俳優は、らしく演じていた、と思う。
ただ、感情表現が、恐ろしく下手で、平面的な演技には、なっていた。

女医で、共産主義者のニーナに、出会ってから、クヌートは、一変する。
ニーナの部屋に誘われた、クヌートは、いきなり、二人、裸になり、
セックスを、始めるのだった!!!

このあたりのシーンは、日本的には、エロ映画と間違えるような激しさで、
圧倒された。ニーナを演じた女優は、心理表現は、とても豊かで、
なかなかの美人だった。そんな女性が、全裸になり、アンダーヘアまで、
見せてしまうのだから、ノルウェーの映画って、いったい・・・・・

妻子があるのに、クヌートは、もう、ニーナへ、一直線、という感じで、
不倫という葛藤は、全然、無いように見えた。
この俳優の演技が、下手なだけかも知れないが。
それと平行して、クヌートの共産主義活動は、盛んになるばかりで、
AKP党にも、入党してしまうのだった。

AKP党というのは、毛沢東思想の共産主義だが、詳細は、よく分からない。
党内の議論を聞いていると、かなり、幼稚なことも言っていて、これが、
本当に、共産党かなって、マジ、思った。

彼らの活動は、ビラを配ったり、機関紙を売ったり、定期購読をお願いしたり。
街頭演説や、デモもしたのだろうが、映画では、その実態は、不明だ。
かれらが、何を要求していたのか、よく分からなかった。
判ったことは、観念的に、階級闘争とか、武装革命とか、叫んでいるに
過ぎないんじゃないか、ってこと。

大体、クヌートにしても、ニーナにしても、けっこう、いい部屋に住んでいて、
物資も豊富だし、裕福そうで、何が、不満なのか、全く、分からなかった。
クヌートとニーナの蜜月も終わって、ニーナは、皆の前で、不倫の自己批判をする。
それからは、クヌートが、一方的に、ニーナにアタックするだけだった。
ニーナに拒絶されても、クヌートは、とうとう、妻と離婚してしまうのだ!!??

プチ・ブルをやめて、労働者になろう、とかいう、AKP党の作戦も、
かなり、お粗末に、聞こえた。実際に、ニーナは、医師を辞めて、
縫製工場の工員になるが、それで、革命になるのか、最初から、疑問だった。
革命後の社会には、その社会を支える医師が、必要になると思うけど・・・・

クヌートの教え子の、ヴェルナルは、エンジニア目指して、大学へ行ったが、
プチ・ブルになるのを拒否して、大学を辞めて、発電所へ努めだした。
そして、組合を刺激して、オルグして、歩いた。
発電所で、ストライキに成功し、電気は消えたけど、どういう意味があるのか?
発電所の労働者たちは、どういう要求があって、ストに参加したのか???
ここでも、革命後の社会には、その社会を支えるエンジニアが、必要になると思うけど・・・・

最終的には、ニーナも、ヴェルナルも、革命への民衆の組織化は、失敗に終わる。
映画では、毛沢東が死んだことが、世界の共産主義を衰退させたように、言っていた。
ヴェルナルは、何も無かったように、AKP党を離党し、社会民主党に鞍替えした。

ニーナも、さすがに、革命遂行への自信をなくし、涙ぐむことも、あった。
そんな彼女を見て、クヌートは、いまこそ、自分の存在が、役立つと、思い込む。
それは、あまりにも、的外れな、勘違いだった。
ニーナは、自分の信じた方向へ、行ってしまうのだった・・・・・

年老いた高校教師の、クヌートが、生徒に、どこまで、話したか、
正確には、わからないが、ニーナの行く末については、話さなかった、
と、理解した。

その理由は、よく分からないが、この映画が、一見、反共映画のようで、
実は、若い、情熱的な、共産主義者に、憧れる、映画なのかもしれない。
あるいは、単に、未熟だけど、燃え上がるような、若い男女の生態を、
描きたかっただけなのかもしれない。




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若き日の三船敏郎と二時代前のアイドル [映画]

CATVの番組表を見ていたら、三船敏郎の名前が、目に付いた。
最近、黒澤明監督の映画の特集を、よくやっている。
でも、目に付いた三船が出演している映画は、黒澤映画ではなかった。

「石中先生行上記」とかいう、いかにも、古そうな題名の映画で、
監督は、成瀬巳喜男監督だった。
1950年の映画なので、今から、60年近くも前の映画だ!?
当然、白黒映画だった。カラーに見慣れた私には、ちょっと、抵抗があった

この映画は、石坂洋次郎という作家をモデルに、石中先生という作家の周囲で
起こる出来事を、3話形式のオムニバス形式で描いたものだそうだ。

第1話は、陰退蔵物質の巻、第2話は、仲たがいの巻、第3話は、
干草ぐるまの巻で、この第3話に、若き日の三船が、出演してるのだ。
第1話、第2話は、あんまり、面白くなかった。

干草ぐるまって、言われても、私は、ピンとこなかったが、
映像を見て、理解したのは、要するに、草を干して、それを、荷車に、山盛り、
のせたものだ。映画では、馬が引いていた。干草は、家畜の餌にするのだろう。

若い農民・長沢貞作を演じた、三船は、最初から登場してこない。
最初は、木村ヨシ子という、田舎の19歳の娘が、中心に、話が進む。
このヨシ子を演じているのは、若山セツ子という女優で、当時、20歳。
この若山セツ子が、もう、超カワイイんだ!!!!
池脇千鶴さんや、蒼井優さんや、宮崎あおいさんと、いい勝負だ。

目鼻立ちは整っているけど、なんか、とり澄ました超美人ってわけでなく、
庶民的で、いわゆる、童顔で、可愛らしい人なんだよね。
白黒なので、カラーで見たかったな。

彼女の魅力は、ただ、可愛らしいというだけではなくて、
超明るくて、声も良くて、その笑い声が、大きくて、快活で、楽しくなる。
1950年というと、太平洋戦争に負けて、まだ、5年後ぐらいで、
そんな敗戦直後の時期に、あんなに、明るい表情や笑い声を出せるのか、
とても、不思議だった。もちろん、若山セツ子という、女優の演技力も
あるだろうけど、それだけでは、とても、説明付かない、と、思った。

一方の三船は、若くて、イケメンで、カッコイイけど、この映画では、
さらに、おどけたり、にやけたり、照れたりして、意外だった。

明るく元気な木村ヨシ子と知り合いになり、好ましく思っていく
過程を、けっこう、上手に、演じていたな。
最後のシーンで、石中先生に、一目惚れって、あるのか、と聞く、
三船は、最高に、微笑ましかった。

三船は、この映画公開の、4年後の1954年に公開された
映画「七人の侍」で、好演をして、高い評価を受けることになる。
三船がこの映画で見せた、ひょうきんさは、「七人の侍」でも、
発揮されている、と、私は、感じている。

干草ぐるまを、乗り間違えたことから、貞作の家に、
一泊することになったヨシ子は、長沢一家と食事をしたり、
お祭りにいったりして、楽しく過ごす。
貞作を始め、一家は、ヨシ子を、とても、気に入ったようだ。

興味深かったのは、翌朝、貞作の母親の手配で、ヨシ子の貞操には、
問題なかったと、駐在の警官に、証明書を書かせるシーンだ。
当時としては、母親の優しさと気配りの典型なのだろう。

いまどき、こんなことをしていたら、警官が何人いても足りないが、
60年前の日本の田舎では、こういうのが、常識だったんだろうか、
と、驚かされた。昔は、若い娘を大事にしていた、ということなんだろうけど、
私的には、そこまで、大げさにするとは、と、ちょっと、理解できなかった。

調べてみると、女優の若山セツ子は、その後も、映画で活躍するが、
離婚したり、引退して、復帰したり、波瀾万丈の人生を送り、
精神状態が悪化して、55歳に、首吊り自殺したという。

あの明るくて、大きな笑い声が印象的だった、20歳の若山セツ子。
それだけを見ていると、とても、自殺をするような人には、到底、思えない。
でも、そういう人生もあるのか、と思うと、複雑な気分になる、私だった。
人生って、どうなるか、分からない。





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映画「天然コケッコー」奥が深い映画に超マッチした夏帆の雰囲気と演技 [映画]

2007年7月公開の映画「天然コケッコー」を、映画館で見損なって、
やっと、新作DVDレンタルで、見ることができた。

ぼーっと、見てしまうと、田舎の分校があって、女子中学生がいて、
転校生の男子同級生に、恋をして、うんたらかんたら、で、
のんびりした映画だなあ、で、終わってしまう。

もちろん、そういう、ゆったりと時間が流れる世界を、示したかった意図は
あっただろう。そして、それは、とても綺麗な映像とともに、成功している。
のんびりゆったりしていても、私は、眠くなったりしなかったし。

でも、この映画は、それだけでは、語れない、多面的な、奥深い映画だった。
さすがは、渡辺あやさんの脚本だけのことは、あるね。

主人公・右田そよ(夏帆さん)は、田舎の分校の中二で、思春期だ。
普通、思春期の女子中学生を主人公に、映画にしたら、彼女を取り巻く、
子供や大人が、いろんな価値観で登場し、それぞれ、考えたり、悩んだり、
発言したり、行動するのが、常だった。主人公の女子中学生と、イーブンに。

でも、この映画は、そよに焦点を当て、そよの見ている世界を、そのまま、
映画にしているところに、この映画のユニークな設定があり、面白さがある。
周囲の人々は、内面を見せず、ただ、現象的にだけ、そよに、関ってくる。
私が、中学生のころの認識状態を、懐かしく、思い出すようだった。

子供から大人になっていく、途上の、そよにとって、彼女の周りの世界は、
「もうすぐ、消えてなくなる。そう思うと、輝いてくる」のだった。
中学で、いくら、親しくなっても、高校、大学、社会へと向かえば、
その関係は、もう、二度と戻ってこないかもしれない。

でも、子供時代は、失恋して、高い橋から、飛び降り自殺した人の話を
聞いても、ただただ、出るかもしれない、幽霊に怯えるだけだ。
東京からの転校生・大沢広海(岡田将生さん)が、橋の上に花を手向ける
のをみて、そよは、少しずつ、大人になっていくのだった。

どんなに、自分の田舎が、住み心地良くて、美しかったとしても、
高齢化や、過疎化で、いつ、廃村になるかもしれないし、
学び親しんだ、分校も、廃校になるかもしれない。

でも、今のそよにとっては、自分が学んだ分校は、あくまで、永遠の存在だ。
たとえ、高校へ進学したとしても、いつでも、そよを、待ってくれている、
と思っている。

東京への修学旅行で、建替えのため、破壊された都会の校舎のコンクリート片を、
重い思いをして、持ち歩く、そよは、深く、考えているわけじゃあ、ない。
でも、時代の流れは、あらゆるものを、瓦礫と、化していくということに、
薄々、感づいてきている。

そして、東京の雑踏の中で、立ち尽くしても、都会を歩いて、
疲れ果てて、ホテルで、泥のように、寝込んでしまっても、また、起き上がって、
都会を歩きながら、両手を、耳に当てれば、山の音と同じように、都会の音も聞えてくる。
そんな若い柔軟性も、そよは、しっかりと、持っていることに、気づいていく。

家庭円満で、家族が幸せに暮らしていても、ある時、父親が不倫に走って、
両親が喧嘩して、離婚するかも知れない。現に、広海の父親は、他に女を作って、
離婚した母親は、広海を連れて、そよの村に、帰ってきているではないか!?

そよは、自分の父親(佐藤浩市さん)が、広海の母親に、ちょっかいを
出している現場を、目撃してしまう。しかし、そういう事実が、
本当に、何を示しているのか、十代半ばの、そよには、よくわからない。
いいようのない、不安は、感じているけれど・・・・

そよは、着る物欲しさに、広海に、キスを、許してしまう。
ニアミスみたいなものだったけど、子供には、それで、充分だったのだ。
最後のほうのキスシーンも、溢れるような性欲に、裏打ちされたものではない。
思わず、広海が、愛が無いキスだ、と、呆れさせてしまうほど・・・・
まだ、異性とキスをする意味も、情念も、分かっては、いないのだ。

そよを演じた、夏帆さんは、演技の上手な、若手女優だ、と思った。
この映画の演技で、日本アカデミー新人賞など、3つの賞をもらったという。
夏帆さんは、11代目の三井リハウスガールで、池脇千鶴さん、蒼井優さんなどの、
実力派女優を、輩出している伝統に、恥じない、活躍ぶりだね。

夏帆さんは、この映画のそよ役に、超マッチしている女優じゃないかな。
整った顔も、極めて、普通で、ありふれている。どこにでも、いそうだ。
でも、素直で、あどけなくて、天然で、モノセックスで、それは、とてもいい。
だけど、それだけの演技では、女優をやっていけないのは、当然だ。
今後、新人賞に恥じない、女優としての大きな成長を、期待したい。



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映画「34丁目の奇跡」サンタさんの夢は人生の貴重な宝物 [映画]

CATVを見ていたら、クリスマスだというんで、そういう映画をやっていた。
「34丁目の奇跡」をいうアメリカ映画で、1994年の映画だった。
以前、見たことがあるようだったけど、よく覚えていない。

コールズという老舗デパートが、売上ガタ落ちで、倒産寸前だった。
起死回生の一手として、サンタクロース作戦に出たのだった。
サンタクロースとして、とある老人に白羽の矢が立った。

自称サンタクロースの老人が、デパート内で、サンタの服装をして、
子供を抱いて、優しく語り掛けると、人気はうなぎのぼり!!!!!
子供が、目を輝かせて、話を聞いたり、質問したり、と、
なかなか、ほほえましい光景で、こういうの、好きだな、私。

ところが、基本的には、デパート商戦の一環なので、
ライバルのデパートが、面白くないし、悔しがったのだった。
資本主義では、1つの会社が景気良くなると、ライバル会社が泣く運命にある。

で、このライバル会社が、邪な事を企んで、チンピラに、サンタ老人に、
因縁を付け、思わず、ステッキで、ソイツの頭を叩こうとして、
嵌められてしまうのだった。温厚なサンタ老人が、そんなことをするとは!?
たちまち、サンタ老人の人気は落ち、挙句の果てに、精神病院に入れられてしまう。
うーん、いかにも、アメリカ映画っていう、展開だった。

さて、ここで、どう展開するのか、と、見ていたら、
このサンタ老人を、裁判所で、審判にかけるというのだから、驚いた。
しかも、テーマは、サンタクロースは、本当にいるのか?
このサンタ老人は、サンタクロースか否か? なんで、
これも、アメリカ映画だなあ、と、私は、妙に、感心したりした。

サンタクロースは、子供の夢で、いるか、いないか、なんて、どうでもいい、
と、私は、思う。子供のころ、大きな煙突が、自宅になくて、
サンタさんが、家に入ってこられるのかなあ、と、心配したことを、
懐かしく思い出す。でも、サンタさんについて、大人になって、
腹が立ったことなど、1度もない。それで、いいんだよ。

ところが、敵対するデパートの意を受けた、検事は、サンタクロースなど、
実在しないし、サンタ老人が、偽者のサンタクロースであることを、
論証しようというのだから、お笑いだよ!!!

でも、この映画の審判でのやり取りを聴いていたら、たかがサンタと、
言えないくらい、サンタクロースの問題は、奥が深いと、気づいた。

サンタクロースがいるという夢は、ワンノブブゼンで、人生で、
夢を持って生きることの、重要性に、つながってくるテーマだった。
親が、自分の子供に、夢を持って、生きなさい、と、教えているんだ。

映画では、サンタ老人が、審判に闖入したトナカイと、顔見知りのようだったり、
個人個人の家に詳しく、どうも、この老人は、本当に、サンタクロースだと、
思わせる展開が、なかなか、よかった。

この審判における、アメリカ紙幣の話は、書かないけど、
ひとつのアイディアとして、なるほど、そうなのか、と、思ってしまった。
キリスト教とか、宗教は、よく分からないけど、
国家が、国民が、何かを信じて生きている、ということは、大切なことだ。

サンタ老人の弁護を勤めた、弁護士は、なかなか、カッコ良かった。
そして、好きになった女性が美人で、その幼い娘の可愛いこと!!!
娘の願いどおり、一戸建ての家が手に入り、弁護士は、その女性と結婚して、
幼い娘には、パパは、できる。弟は、これから、作る!?

月並みな展開だけど、そんな夢を持って、生きている人も多いので、
見ていて、気持ちが良かった。

ところで、この1994年の「34丁目の奇跡」は、リメイク映画だという
ことが、あとで、わかった。
元々は、1947年の「34丁目の奇蹟」が有名な映画で、
でき具合も、こっちのほうが、かなり、いいらしい。
だから、是非とも、この1947年版を見てみたいが、レンタルしてるかなあ???








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映画「ラストラブ」老けた田村正和と気取った伊東美咲では恋愛にならない [映画]

見るものがないので、つい、新作DVDレンタルの中から、
伊東美咲さんが出演している、映画「ラストラブ」を、借りて、見た。
2007年6月公開の、映画だ。

主人公は、阿川明というジャズのサックス奏者で、これを、
田村正和さん(64歳)が演じている。映画には、実に、14年ぶりだそうだ。
ちなみに、1993年に出演した映画は、「子連れ狼 その小さき手に」だった。
田村さんが、あの拝一刀をやっていたとは!?

伊藤さんは、市役所の公務員の結という役で、まず、ここが、合ってないよね。
公務員っていう、雰囲気が、全くなかったぜ!
この結が、ゴミ収集現場で、阿川と喧嘩することで、知り合う。

で、わざとらしいが、阿川も、結も、どういうわけか、NYに行く事になって、
どういう偶然か、飛行機の席も近くて・・・・  いい加減、疲れたぜ。

阿川は、5年前、妻をガンで亡くして、それを機に、ジャズをやめた。
妻が死んだのは、ショックだろうけど、なぜ、サックスを吹くのを
やめたのか、よく、分からないまま、映画は、進行していった。

偶然に輪をかけて、NYのリバーサイドの公園で、阿川は、結と、バッタリ、逢う。
さらに、偶然は続いて、結の婚約がダメになり、ホテルで深酔いしているところを、
阿川が、助ける展開になった。

この映画は、老年の阿川と、27歳の結を、どうしても、無理やり、
くっつけたいらしい。

その接着剤として、阿川の10歳の娘・佐和(森迫永依ちゃん)が活躍する。
しかし、佐和が通っているピアノ教室に、結が現れ、それがもとで、
また、阿川と、結は、再会する。
うーん、ここまでくると、作為が、鼻についてくるね。

ともかく、結が励ましたお陰で、阿川は、また、ジャズをやる気になった、
という展開だったが、これも、よく、分からなかった。
妻の死で、5年間も封じてきたジャズを、簡単に、再開するとは????

結は、ドンドン、阿川が好きになっていくが、美咲さんの演技は、
それを感じさせない演技で、気取っていて、お澄ましで、能天気で、
全く、ひどいものだった。
婚約者に絶縁され、それから、立ち直っていく結って、もっと、なりふり構わず、
ギリギリの表情で、迫力あると思うけどな・・・・・

そして、60歳過ぎた老人と、27歳の若い女性の恋愛を、どういう風に、
展開するのかと、考えながら、見ていて、ああ、これは、阿川は死ぬな、
と思ったら、その通りになった。ミエミエなんだよなあ!!

阿川は、未分化型胃がんで、スティルスと診断され、余命は、3ヵ月!!!
人は、いつか、絶対に死ぬんだけど、日常は、そんなこと、意識しないで、
宣告されて、後悔するんだよなあ・・・・・・・

阿川は、ヤケクソになって、ジャズと心中しようと、決意する。
まあ、心中するのもいいけど、なぜ、NYなんだろう??? 東京は???
幼い娘がいるのに、ここも、到底、理解できなかった。

娘は、健気に、結にNYへ行けという。なんて、大人なんだ!
この映画で、一番大人なのは、佐和だったりして!?
演技が、一番うまいのも、永依ちゃんだったりして!!??

ともかく、14年ぶりに映画出演した、田村さんには、悪いけど、はっきり、
ミスキャストだったね。痩せているから、64歳よりも、5歳は老けて見える。
この映画で設定された、団塊の世代(58~60歳)の老人には、
とても、見えないし、相当な無理がある。

田村さんに、精気が無いから、若い女性との恋愛といっても、現実味が全く無い。
だから、見ていて、全然、ワクワクしないんだ。
本当なら、洋画みたいに、ベットでのラブシーンぐらいしてもいいのにね。
まるで、老人ホームの老人と、若いケアワーカーの、二人に、見えた。

阿川には、もうちょっと、若い俳優を使うべきだった。まあ、あんまり
元気な俳優では、胃ガンで、死んでいくようには、見えないけどね。

最後のシーンは、非常にアッサリしていて、ここは、好感が持てた。
邦画は、映画の終わり方が、下手で、見苦しいが、
この映画は、そういうことなく、ベンチに座って、亡くなった阿川を、
車が遠ざかっていく視線で、そっと、見ているのは、よかった。



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映画「ヴァニラ」ラブロマンス映画と思っていたら、とんでもない!! [映画]

なにげに手に取った新作DVDが、「ヴァニラ」という題名の映画だった。
ラブロマンスらしいというので、借りたけど、実は、凄いホラー映画だった。
日本の劇場では、未公開らしくて、DVDが先々月の10月下旬に発売されている。

2004年のカナダの映画で、1度見ると、興味は半減する。
ヴァニラなんて、アイスクリームみたいだけど、
ここでは、白い皮膚とか、白い肌という意味。
以下、ネタバレになるので、新鮮な気持ちで見たい人は、以下を、読むべからず。

主人公は、田舎から出てきた、ティエリーという、男子大学生で、
色白で、ハンサムだ。その親友が、黒人のアンリで、ティエリーと、
同居している。アンリには、黒人の彼女がいるけど、
ティエリーには、恋人もいなくて、成績悪い科目のせいで、次年の奨学金が
もらえない恐れが、出てきている。

映画の冒頭は、この2人が、娼婦を買う場面から、始まっている。
大学生が、好奇心から、娼婦を、というのは、どんなラブロマンスなのかと、
不審だったが、アンリについた娼婦が、いきなり、ナイフで、アンリの首に
切りかかったのだから、もっと、不審な気持ちは、大きくなった。
これは、どういう映画なんだ???

私が期待するラブロマンスは、ティエリーが、街頭で、フルートを、
演奏している、クレールという赤毛の女子学生に、一目惚れして
しまうところから、始まったようだ。
クレールは、大人しそうな雰囲気で、私的には、美人には見えなかった。

その後、ティエリーは、学内で、ピアノ演奏を終えた、クレールに話しかけ、
夕食に誘う。はっきり拒絶したクレールだが、ティエリーの強引さに負けて、
パブみたいなところで、ビールは飲まずに、ティーを飲む。
クールなクレールを見ていると、なんだか、つまらないな、と、思っていた。

ところが、いきなり、ティエリーとクレールが、裸で、抱き合う場面になったので、
ビックリした。外国の女優は、やはり、大したもんだ。脱ぐところでは、ちゃんと、脱ぐ。
しかも、クレールのほうが、男を求めている感じだったので、2度、ビックリした。

で、このまま、めでたく、カップル誕生かと思ったけど、そうは、行かなかった。
クレールは、私には、問題があるといって、もう、付き合わない、というのだった。
うーん、この辺の展開は、まさに、ラブロマンス、いいなあ、と、思っていた。

しかし、クレールが、実は、ガンを患っている、と、告白したことから、
この映画の方向が、だんだん、あらぬ方へ、曲がっていく。
入院したクレールに、紹介された、家族の中に、マルキーズという妹がいて、
そのマルキーズが、アンリの首を切った、娼婦だったのだ!!???
なんという、わざとらしい展開だろうか。まあ、それは、いいけど。

そして、この映画のストーリーが、曲がっていった先には、クレールたちの一家が、
バンパイアだった、という、ホラーが待っていたのだった。いや、かなり、驚いたね。
それも、女バンパイアで、女しか生まれず、男を食べて、生きていく、
新種のバンパイアだというのだから、ちょっと、ついていけなかった。

ガンを患ったというのは、なんだったのか???
クレールは、結局、男が欲しくて、ティエリーを誘惑したのか???

いずれにしても、最も凶暴な妹・マルキーズが、アンリを殺して、
食べてしまう、というシーンでは、私は、呆れてしまった。
しかも、その妹を、射殺してしまったクレール。

普通人間・ティエリーは、どうなってしまうのか、と、心配したら、
妊娠したクレールの周りで、笑顔で話し合う、ティエリーと、
クレールの母親や、姉がいる、シーンに、つながったんだ。

バンパイアのクレールと、平凡なティエリーの間に、出来た胎児が、
超音波エコーの画像で、うごめいていた・・・・・・

殺されたアンリの立場は、どうなってしまうのか?????
ティエリーは、もう、普通の人間の感情が、なくなってしまったのか???
なんとも、後味の悪い、ラブロマンス → ホラーの映画だった。




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映画「ブリッジ」あり得ない自殺者の実映像が訴えてくる魂の叫びとは? [映画]

新作DVDを見たけど、邦画は、「大日本人」なんて、下らないのが、
目に付いて、いやになり、全く、予備知識無く、映画「ブリッジ」を
借りた。シリアスで、自殺というアイテムが、目に入った。
2007年6月公開の、アメリカ映画だった。

かの有名な、サンフランシスコの、ゴールデンゲートブリッジが、
映像に映り、ああ、ブリッジというのは、この橋のことか、と、納得した。
年間900万人も、観光客が訪れる、この有名な橋の様子が、
映像に映し出される。ナレーションは、ない。

少し見ていると、いきなり、中央の橋の柵を乗り越えて、人が、飛び降りた!!!??
おいおい、あれは、なんだ!? と、私は、かなり、当惑した。
俳優? 演技?  じゃ、ないよね、あっ、あれは、本当の自殺者だ、と、
気がついて、かなり、ビックリした。
えーっ、偶然、映画のカメラが、撮影したのか、それにしては・・・・・・

そして、その後も、この映画は、次々と、橋から、飛び降りる自殺者を、映していた。
遠景から、ばしゃん! という水音と、大きな水しぶきの映像もあった。
こりゃ、偶然じゃないな、と、思っていたら、1年間、この橋に、
カメラを設置したという、この映画のやり方が、判った。
その1年間に、24人も、飛び込んだという。

そして、自殺した人の親や兄弟、友人や知人が、様々に、自殺者のことを
語っていた。
私が、一番、胸に応えたのは、フィリップの両親の映像だ。

自分の愛しい息子を、自殺で失った、父親と母親の悲しみが、
映像いっぱいに、私を襲ってきて、涙をこらえることが、できなかった。
特に、父親の、優しい態度や、静かな話し方が、この自殺の切なさを、
凄く、訴えてきた。

自殺者を、傍観するだけじゃないか、という、批判が、この映画にあったという。
でも、この映画の関係者たちは、この間、自殺しようとした、6名を、助けた。
この映画の映像では、橋の柵の、外に出た女性を、説得して、その身体を
持ち上げ、柵内に助け上げた、男性の姿があった。
このシーンに、私は、息が止まるほど、ドキドキした。

助けた男性は、自殺の邪魔して、お節介と、思われたかも知れないが、
本人が、助けて欲しかった、と、信じている、と語り、いろいろ、考えさせられた。
この映画では、自殺者たちが、何の迷いも無く、決然と飛び降りたのではなく、
心のどこかで、強く助けを求めているように、私は、感じた。

信じられない実例が、ケヴィンの話だった。
彼は、実際に、この橋から、飛び降りたのだが、一命を取り止めたのだった。
まったく、信じられない話だが、飛び降りた瞬間、助かりたい、と思ったと、
彼が語っている映像は、ますます、信じられなかった。

死を決意して、飛び降りた瞬間、死にたくない、なんて・・・・・・
まあ、それだけ、自殺者の気持ちというのは、複雑で、割り切れない
ものなんだろう。

自殺した人と、最期に会ったり、話をしたりした人が、そのことを、
今でも、強烈な記憶として、持ち続けている話が、多かったと思う。
私も、以前、何人かで、昼食を共にした、ある知人が、
その夜、睡眠薬自殺したということがあった。
私も、あの時、話していた彼の顔を、今でも、鮮明に、覚えている・・・・

レンタルしたDVDの中に、このドキュメンタリー映画を創った、
エリック・スティール監督の、来日インタービューがあったので、それも、見た。

監督は、この映画を製作した目的について、アメリカで、年間3万人以上も
自殺している現実のひどさを、アピールしたかった、橋を選んだのは、
命の終わりを見せたかった、と説明した。

日本も、世界で、自殺大国といわれ、やはり、年間3万人以上、自殺している。
ひとごとでは、ないな、と、痛感した。
私は、どこか、死にたいヤツは、死ねばいいさ、みたいに、考えていた。
でも、この映画を見たら、そんな冷たい考えはやめて、死を考えている知り合いが、
いれば、できるだけ、なんとかしたい、と、思った。
無力かもしれないけど・・・・・・・・・・・




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映画「黄色い涙」夢と現実の狭間で苦悩する青春への賛歌 [映画]

また、犬童一心監督の映画を、見てしまった。
嵐と、組んだ映画「黄色い涙」だ。
時代は、昭和38年、1963年、いまから、44年も前の話だ。
話は、その時代の若者に、絶大な支持を受けたという、漫画家・永島慎二の
原作から、とっている。

東京・阿佐ヶ谷のアパートで、漫画を描いている栄介(二宮和也さん)の部屋に、
3人の若者が、居候するという設定だ。3人は、画家志望の圭(大野智さん)、
小説家志望の竜三(櫻井翔さん)、そして、歌手志望の章一(相葉雅紀さん)という、
若者たちだった。

1963年といえば、東京オリンピック開催の前年で、日本が発展していく
途上の年で、活気があった、と、知り合いのオッサンは、言っていた。
それでも、まだ、日本は、貧しかったようで、そんな中、芸術家を目指そう、
というのは、よほど、才能がなければ、無謀な試みだったに、違いない。

予想通り、栄介の部屋に、転がり込んできた、3人は、凄い芸術家に、
なりそうもなかった。そして、ともかく、腹が、減る。
お金が無ければ、ご飯にありつけない。

だから、バイトでもすればいいんだけど、なぜか、芸術家は、バイトしちゃ、
いけない、なんて、変な規範を、3人とも持っているんだった。
でも、結局、お金がないから、章一の大事なギターまで、質屋に入れちゃうんだ。
なにをやっているんだか・・・・・・

一方、栄介は、もっと現実的で、漫画家になる夢は捨てないで、
いざとなったら、いやな漫画の仕事も引き受けて、金を稼いでくるのだった。
この辺のバランス感覚がすばらしいが、それは、まず、栄介が、
意志が強いからじゃないか、と思った。

あとは、やはり、才能だろう。栄介のモデルになった、永島慎二は、
自分の才能を、歴史で、証明している。
ほかの3人は、この映画を見る限り、凄い才能があるとは、見えなかった。

その際たるヤツが、小説家志望の竜三だ。文章のプロになるヤツが、
一行も書けないなんて、そりゃ、ないんじゃないの?!
歌手志望の章一も、第一、歌が下手じゃ、しょうがない。
作詞作曲といっても、気の利いたフレーズや、メロディがあるわけじゃない。

そして、画家志望の圭だ。圭については、脚本家も、この映画の鑑賞者へ、
猫だましのテクニックを使った! と、思った。
いかにも、圭の絵に、値打ちがあるような、展開をしていったからだ。
しかし、最後で、奈落の底に、落とされてしまう・・・・・・

あとは、意志の強さだ。お金と時間の浪費や、女には、
絶対、気をつけなければいけないのに、3人は、喫茶店の娘に恋したり、
結婚詐欺にあったり、酒やパチンコに、浪費したりしていた。
意志の弱さ、丸出しの、体たらくだ。

そんな3人だから、結局は、夢を諦め、フツウの仕事に、就いていった。
意志が強く、才能があり、金銭感覚にも優れた、栄介が、一人、生き残った。
まあ、当然といえば、当然なんだけど、元彼女で、今は、人妻(田畑智子さん)
の誘惑に、屈しなかったのは、えらい。
でも、いきなり、キスしようとしたのは、どうかと思ったけどね!?

余談だけど、当時を知っているオッサンが、この映画は、当時の雰囲気を
なにげに出しているって、教えてくれた。たとえば、買物かご、チンドン屋、
昔のパチンコ台、トヨペットコロナ、オート三輪、新宿駅前の傷痍軍人、
当たり前田のクラッカー、古い駅とか、列車、当時の流行歌、などなど。

自分の夢ももてない、ニートなんて連中が、増えている、現代日本で、
44年前の、無謀かもしれないが、自分の夢を掲げて、苦闘した、
4人の日本人の青春映画は、どういう反響があったんだろうか。

「人生は、一度も、人を、欺かない」というのは、いい言葉だと思った。
その人を超えたところに、現実の人生は、ないんだ。
私が好きな言葉「真実は、常に、具体的だ」に通じるものがある。

もう1つ。最後の方で、栄介が、元彼女に言った、
「オレは、自分の世界を、大事にしたい」という言葉が、胸に迫った。
私も、まったく、同意だ。私も、そうやって、生きている。
二宮さんの表情と、言い方が、かなりよかったなあ!!

裕二(松本潤さん)みたいに、芸術家を目指した4人に憧れながら、
自分は、時江(香椎由宇さん)と結婚して、子供を作り、農業をやっている、
というのも、当時のよくあった、ある意味、陳腐で、堅実な、生き方なんだろう。
ただ、これだけ、混迷する金満現代日本では、当時の裕二みたいな生き方が、
むしろ、羨ましく思えてくるのは、私だけだろうか・・・・・・・・・・




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