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近場の温泉もいいもんだ! 伊東温泉に地元の心意気を感じた [生活]

この冬は、とても、寒い。かなり、寒い。雪も降るし!!!
だから、温泉に行ってきたぜ!  温泉は、暖かかったな。

以前は、車で、通り過ぎるだけだった、伊東の町。
その伊東に、電車で、行ってきた。地球温暖化阻止なんて、言い過ぎか・・
湘南からだと、1時間半ぐらい、ホント、近場の温泉だ。
途中、西湘バイパスとか、すごく、渋滞しているのが、見えた。

伊東の駅を降りてみると、なんか、普通の温泉町の雰囲気だけど、
不思議に、活気があったね。観光客も、多かったし。

温泉旅館に入る前に、街中をぶらぶらして、見学などもした。
もちろん、伊東の駅近辺に、そんなに、見るところは、ない。
ただ、無理やり、地域活性化と称して、意味不明の名所(迷所?)をつくったり
するところがなかったのは、いいな、と、思った。

東海館という、かって、繁栄した、古い旅館を、見学させてもらった。
木造の三階建てで、ともかく、立派な建物だ。屋根の上には、
展望台みたいな、楼閣があり、まるで、天守閣みたいだった。
実際に、登ってみたが、360度の眺望で、海が見えるのが、
とても、いいなあ、と思った。昔の人は、海を見ながら、酒でも
呑んでいたのだろうか? 昔の伊東の繁栄振りが、しのばれた。

東海館の中は、凝った装飾が、至るところにあり、驚かされた。
たとえば、欄間の複雑な彫り物や、自然の木の湾曲を生かした柱など。
障子の桟に、帆掛け舟を模した、細工を施したり、e.t.C.

東海館は、大川という、川沿いにあり、各室からの眺めも、良かったことだろう。
その川で、宿泊客が、魚釣りをしている写真が、飾ってあった。

次は、木下杢太郎記念館というところへ、行った。
どうも、伊東出身の有名人というのは、木下杢太郎以外には、いないみたいだ。
私は、木下杢太郎の名前は知っていたが、その内実は、よく知らなかった。

展示物を読んでいくと、東京帝大の医学部に入ったのに、詩作を行い、
耽美派詩人として、活躍した。これが、明治末期だ。
医学部を卒業して、皮膚科の研究室に入るが、創作活動も続けていたという。
美術評論もやっていたというから、まさに、マルチの天才だったんだろう。

大正10年に、欧州に、医学留学したというから、当時の日本人の最先端を
いっていたのだろう。木下は、晩年まで、マルチに活躍したので、その生き方は、
大したものだと思った。晩年に、描いた、草花の絵を見たが、画家としても
才能があったみたいで、いろんな花の絵に、魅力が溢れていた。

かの有名な、東大の伝染病研究室にも、所属していたみたいだ。教授だよ。
本名を、太田正雄といって、医学者としては、世界的に有名だったそうだが、
私は、迂闊にも、あの「太田母斑」は、この木下が、名づけたとは、気が付かなかった。
そこに、気づいて、急に、木下の業績に感心した、私だった・・・・・

寒風の中、すぐ前の、海を見ながら、露天風呂に入るっていうのは、たまらないね。
本物の温泉というのは、身体が芯から温まって、癒される。
命の洗濯とは、よく、言ったもんだね。

朝、早起きをして、夜明けの海を、眺めていたら、
暗い海の上を、小さな漁船が、何艘か、離れ離れに、灯りを点けて、ゆっくり、
走っていた。それは、まるで、夜空に舞う、蛍のようで、とても、美しかった。

伊東には、お寺や、神社が、やたら、多いように思う。
そこで、1つぐらいは、と、思って、次の日、高台にある、松月院へ行ってみた。
予想通り、松月院の境内から、伊東の海が、大きく、見えた。
ちょうど、鎌倉の長谷寺から、海が見えるようだった。

院なんていうから、小さなお寺かと思ったら、とても立派な、
大きい寺だったので、ちょっと、ビックリした。
そして、お寺も境内も、よく整備されていて、京都の寺に匹敵すると、思った。
お寺の周辺では、寒桜が咲いていて、ちょっとした、春の気分だった。

伊東の町のいろんな場所で、見ず知らずの、地元の人たちが、親切にしてくれた。
また、町が良く清掃されていて、綺麗だったことも、印象に残った。
流れる川や、小川、池などの水が、大半は、澄んでいて、気持ちよかった。

大金を投入して、観光地の活性化を目論むところも、多いけど、
伊東は、地元の人々の真心で、活性化しているように、見受けられて、
私のこころに、静かな感動を、与えてくれた、町だった。




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